社内ゾンビになりかけブログ

日系大手化学メーカーに1X年勤務し、ゾンビ化しつつある人

大学院卒業から入社まで①

 ブログ主は200X年に都内のそこそこ知られた大学の大学院の化学系分野を修了した。ちなみに、日系大手メーカーは学歴が非常にものをいう世界であり、就職活動においても学歴フィルターがほぼ”確実”に存在する。これについては、身バレのない範囲で、いずれ述べていきたい。

 

 200X年は就活する学生にとって有利な年であった。数年後にリーマンショックという大苦境が来るわけだが、この当時は経済状況がよくなりつつある、という期待が社会を覆っており、日系メーカーの多くが採用数を増やしていた。

 

 ブログ主は、大学の成績も悪くはなく、希望と熱意に満ち溢れた、ありがちな若者であった。大学時代にはある種の”モノづくり”を研究テーマとしており、会社に入ってもモノづくりを行いたい、という意欲があり、日系大手メーカーを希望した。

 

 ちなみに、今の会社を選んだ理由は、”モノづくり”は企業の研究開発投資が重要であり、ブログ主の就職したメーカーは売上に対する研究開発への投資比率が高いことで知られていたから、であった。また、ブログ主の卒業した分野と業種が近く、先輩たちも多く就職していたから、というのも理由の1つである。一方、消極的な理由としては、ブログ主の卒業した大学院から中小企業に就職するものはおらず、大手メーカーしか眼中になかった、ということも述べておきたい。

 

 当時の理系大学院生の就活方法は、”教授推薦”という形が一般的であった。企業が各研究室に訪問して、学生を採用したいという意図を教授に伝える。その企業を志望する学生がいれば”教授推薦”が行われる。”教授推薦”の学生の就活ルートは、一般学生のものとは異なっており、工程を相当ショートカットし、すぐに内定が下りる。

 

 ブログ主も、現在働いている大手化学メーカーは、この”教授推薦”を使って入社した。結果、面接2回、で無事内定、となった。内々定修士2年に進学して早々には出ていた、と記憶している。

 正直、楽勝であった。これから、自分の研究を通じて、社会を豊かにしていくのだ、とその時は確かに信じていた。