社内ゾンビになりかけブログ

日系大手化学メーカーに1X年勤務し、ゾンビ化しつつある人

大手メーカーとドライブ・マイ・カー

 大手メーカー管理職がドライブ・マイ・カーを見てきた。ネタバレを含みつつ感想を書いていきたい。

 ドライブ・マイ・カーは、西島秀俊演じる家福(かふく)という妻を亡くした演出家?の男が、チェーホフの戯曲”ワーニャ伯父さん"を演出するにあたり、岡田将生演じる高槻の起こした事件により公演を中止するか、自分で主演を演じるかの決断を迫られ、哀しい過去を背負った三浦透子演じるドライバーと一緒に北海道を目指す、という話。*1

 村上春樹の小説はほとんど読んでいて、どの作品にも、ブログ主の言葉で表現すれば、闇に付け込まれてしまう人と闇を振り切り生きていく人、が出てくる。前者の場合死につながることも多い。ドライブ・マイ・カーでは、岡田将生と西島の妻役の女性は闇に付け込まれた人で、西島秀俊と三浦透子は闇の淵から生還した人である。

 闇はその人の弱さでもある。西島秀俊は、不倫する妻から目をそらし、夫婦関係という形式だけを維持しようとした。妻も同じ弱さを抱えた人であり、セックス後に物語を紡ぎながら助けを求めていた。しかしそれは誰にも掬い上げてもらえずに、死んだ。

 見終わっての感想、とにかく長かった。隣に座っていたおじいさんは3回もトイレに行っていた。悪くはないけど、アカデミー賞までいくか?というと若干の疑問が残る。きれいな湖に一か所黒い水が溜まっている、そんな些細な問題を描いているだけだと感じた。どうしてもポン・ジュノの半地下の家族と比べてしまった。半地下の家族で描かれていたのは、ごく一部分的にきれいな水が見えるだけの、黒い淀んだ水に満ちた沼であり、韓国社会の日常に潜む闇であった。そこまでの闇を描き切れていない、ドライブ・マイ・カーにはそんな上っ面のきれいごとを感じてしまった。

 ブログ主はやたら弱者ポジをとりたがる、他責思考はあまり好きではないのだが、でもドライブ・マイ・カーはちゃんと課題を描き切れていない、本当に臭いものには蓋を被せて、おしゃれに消費できる課題だけを取り出したような、うさん臭さがある。

 ブログ主も社内でプロジェクトを進めるときに、(あ、これ指摘しても解決できない課題だ・・・もっと小さい課題だけ取り上げよ・・・)ってなって、真にやばい課題は見つけてもそのまま埋めてしまうことがよくある。*2

 村上春樹もやっぱり日本人だから、課題の切り取り方は日系大手メーカーと同じだなと思った次第。めんどいから終わり。

*1:内容を一文で書いたら意味わからなくなってしまった

*2:まれに不発弾が爆発することがあるのだが、その時にその部署にいなければ、問題はない